11/15(土)25″秋の共同行動と反核燃産直市in青森
約40人参加の集会のあと、青森市内を「地震の国に原発いらない!」とデモ。
天気もよく、会場隣で開催した反核燃農家の産直市も盛況。
弘前と浪岡産りんご1個100円、安い!
長芋、白菜、小豆、佃煮、ジュースなどよく売れました。
集会講演は『ヒロシマから、核のない世界を求めて』
講師の木原省治さんは、家族全員が爆心地から2.5kmで被爆した4年後に、被爆2世として広島に生まれた。次姉は胎内被曝。39歳で急死した父の死に様と、32歳で被爆した母の生き様を見て育った。
1978年、国連軍縮特別総会の前に、米国各地の交流ツアーに参加。この時アメリカの人々が「原発の前での原発反対運動」として、8.6をヒロシマデー、8.9をナガサキデーとして行動していることを知り、原発反対運動と出会う。
翌年、スリーマイル島原発事故が起きる。
上関原発反対運動の中で忘れられないのは、「広島の人ならうちらが上関原発に反対しているのをわかってくれるじゃろう!放射能の怖さを一番知っとるのじゃから」という祝島の人々の言葉。
広島市原爆被害者の会事務局長、原発はゴメンだヒロシマ市民の会会長、広島県原水禁常任理事、はんげんぱつ新聞発行、上関原発止めよう!広島ネットワーク、広島県被団協理事。







