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『繰り返すまい戦争への道集会』 リレートークでの発言 
おぐまひと美 2022年8月15日 青い森公園

 みなさんこんにちは。社民党のおぐまひと美です。

 私は数年前に青森市に移ってくるまで、青森空襲で大きな被害があったことを知りませんでした。今村修さんたちがやっている青森空襲を記録する会の活動を通じて、青森空襲の実態を知りました。

 7月28日深夜の青森空襲の被害は諸説ありますが、死者は700人とも、1000人以上とも言われているようです。

 青森空襲の写真展のお手伝いをする中で驚いたのは、当時、軍部が市民に逃げることを許さなかったということです。

 7月28日の青森空襲の2週間ほど前に、津軽海峡で青函連絡船12隻がアメリカ海軍の攻撃を受けて、死者352人を出す大きな被害を受けました。それを見て、空襲が市内に及ぶことを懸念した市民が多数、郊外の山の中などに逃げ出したということです。

 これを咎めた軍部は、県知事令で、配給の停止という手段で帰還を強要し、いったん逃げた市民が多数、市内に戻らざるを得なくなりました。その直後の空襲でした。空襲の際には、軍人が軍刀を振り回したりして逃げる市民をさえぎり、消火活動を優先させ、人的被害が一層拡大したようです。そんな理不尽なことが、実際に青森で起きたのかと、愕然としました。

 私の義母は、昨年92歳で亡くなっています。義母は終戦前後、青森高女に通っていて、空襲のあった1945年の7月は、徴用されて大湊の海軍工廠で女子挺身隊として働いていました。青森空襲の夜は、陸奥湾をはさんで青森が空襲で焼けているのを見たそうです。

 その妹である義理の叔母は当時青森市内におりました。7月28日の青森空襲の時は、焼夷弾が降り注ぐ中を、弟の手を引いて逃げまどいました。逃げている途中、泣く赤ちゃんを背にうつぶせに倒れている人など、亡くなっている人をたくさん見たそうですが、麻痺していたのか、何の感情も湧かなかったと証言しています。

 私はこの話を、青森空襲を記録する会の、叔母の証言動画で知りました。

 今、再び戦争へ向かうきな臭い動きがあります。そして現実に起こっている、ロシアによるウクライナ侵攻、そして原発への砲撃。

 77年前の惨禍を経て、私たちはこのような悲惨な戦争を二度と繰り返さないことを平和憲法で誓いました。

 戦後生まれの私自身はさいわい戦争を経験しないで今日まできましたが、ここにきて集団的自衛権とか、敵基地攻撃能力とか、核共有とか、果ては核武装まで、勇ましい言説で戦争に向かおうという勢力が頭をもたげてきています。

 そして私たちは戦争ばかりでなく、核のゴミなどでも子や孫の世代に負の遺産を押し付けようとしていますが、これらは、私たちの世代できっぱりと払拭していかなければならないと思います。

 77年目の8月15日にあたり、私たちはここで平和を守り、二度と戦争をしないという決意を新たにしたいと思います。

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おぐまひと美

こんにちは!おぐまひと美です!
この秋、社民党公認で青森市議会に立候補を予定しています

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